フランスの難関校であるグランゼコールのひとつでパリ政治学院を卒業後に、ルーブル学院で美術史を学び。ファッションに関するちゃんとした教育は受けていないものの、独自で学んだ服作りの知識を評価され、数々のブランドでファッションデザインに携わる。
そして、エディが世に名を轟かせる以前の1997年にイヴ・サンローランのプレタポルテラインのメンズ版「リヴ・ゴーシュ・オム」のディレクターに指名された。そして2000年までの3年の間にイヴ・サンローランのブランドイメージ刷新に寄与したエディは、その手腕を評価され、新たにローンチ予定のディオールのメンズラインのディレクターとして招かれることとなる。
メンズラインの革命
エディのディレクター就任とともにスタートしたディオール オムは、その唯一無二のスタイルとデザイン性の高さでカルト的人気を誇ることとなる。
エディは、2000年代にメンズラインにおいて革命をもたらした。今でこそスキニーパンツを履いている男性は多く見かけるが、ディオール オム誕生以前は一般的なアイテムとは言えないものだった。また細めのスーツスタイルなど、今でも続いているメンズウェアのトレンドをけん引してきたのがディオール オムであり、エディ・スリマンだったのである。
そんなエディであったが、2007年AWをもってディオール オムのクリエイティブ・ディレクターを退任した。
退任後は、しばらくの間モード界の表舞台から退いていたエディであったが、2012年にイヴ・サンローランのクリエイティブ・ディレクターに就任した。モード界に不死鳥のごとく蘇る。就任に合わせ、エディはさまざまなブランド改革を行った。カッサンドルによる「YSL」ロゴのイメージが強かったイヴ・サンローランを「サンローラン(SAINT LAURENT)」に改め、老舗ブランドの名称とロゴを大胆に変更して話題となった。
その後も、リングブーツやダメージスキニーパンツなど数々の名作を残した。
だが、2016年にサンローランのクリエイティブ・ディレクターを退任した。
多くのファンに惜しまれながらエディはサンローランを去った。
その後、2018年にセリーヌのクリエイティブ・ディレクターに就任し、
再びモード界に舞い戻ってくることになった。
セリーヌのメンズラインをエディ・スリマンが手がけることから、
世界中でも注目のコレクションに。
ショーが開催され、そのテイストはまさに、エディ・スリマンそのものであった。
今シーズン最も注目を集めていたショーなだけに、業界関係者たちも多く閲覧していてその見解は様々であった。
しかし、今後もエディ・スリマンの大胆かつ繊細な作品に期待がかかります。